明治になって、洋式便器が輸入されるようになり、その後明治30年代になると日本陶器合名会社が設立され、国内でも陶製の便器が製造されるようになりました。明治40年になると、現在のTOTOの前身である、東洋陶器株式会社も設立されました。本格的に、日本の洋式・水洗便器の歴史が動きだしてゆきました。
大正時代になると、陶製の便器を製造する会社も増え、業界が形成されてゆきました。さらに、便器だけでなく、浄化槽や下水道設備の整備も進められ、一気に日本のトイレ事情は近代化へスピードアップを果たしました。
昭和に入るころには、現在のLIXILの前身である伊奈製陶、現在のジャニス工業の前身である西浦製陶などが設立されています。その後、戦後復興における特需などをへて、規格なども統一化されてゆきました。まだまだ戦前、戦後しばらくは和式便所が主流でしたが、昭和35年、1960年になるころには洋式便器が普及を始めます。
また日本のトイレの代名詞でもある、温水洗浄便座が発売されはじめたのも1960年代です。初期の頃は、スイス製や米国製のものを輸入販売していました。温水洗浄便座の国産化が始まるのは、1967年からです。TOTOの「おしりだって洗ってほしい」というCMが話題になって、温水洗浄便座がさらに普及しはじめるのは1980年代に入ってからです。
1970年代に入ると、和式よりも洋式便器ほうが出荷量が上回るようになりました。日本が高度成長期、バブル期と絶頂を謳歌するなかで便器も多大な進化を遂げていきました。脱臭機能、節水性能、自動ふた開閉、などの多機能化が進みました。
平成に入ると、さらにタンクレス、抗菌仕様など進化を進めました。和式便器の出荷数は、一桁パーセント代に。温水洗浄便座は50%を超える普及率にまで浸透しました。
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