トイレの歴史メモ 古代ヨーロッパ

古代文明の遺跡から、下水に繋がったトイレ跡が発見されています。中世ヨーロッパでは、おまるにためた排泄物を窓から往来に投げ捨てていたということなので、それよりよほど前の時代のほうがずっと先進的なトイレ事情でした。

シュメール文明のエシュヌンナ遺跡から紀元前2200年頃の宮殿の遺跡からは、水洗便所が発掘されています。レンガでできており、地下の下水管に通じていました。こうしたトイレはなんと、一般の家庭にも同様のものがあったそうです。

こうしたトイレ文化は、シュメール文明だけでなく、ギリシャのクレタ文明やインダス文明などの都市でもあったそうです。モヘンジョ・ダロではシャワー・ルームと腰かけトイレが完備していたそう。

古代のローマでは、下水道設備は発達していました。ローマ全市を下水道が縦横にのびており、雨水と汚水が市街地の外へ流されていたそうです。下水道には公衆浴場や公衆便所、一般課程の足洗場、洗面所、便所へも接続されていました。

特に紀元前7世紀ごろ、タルクイニウス王の時に完成した非常に大規模な下水道網(クロアカ・マクシマと呼ばれています)は、現在でも使い続けられています。

とはいえ、人口が増えた古代ローマ時代にあって、下水施設はやはり需要に供給が追いつかない状況になってしまったようです。下水機能の不足は、その後、マラリアやペストなどの疫病を広める原因にもなったと考えられます。ローマ帝国が滅亡した理由を、人口増加に下水設備増強が追いつかなかったことによる疫病も蔓延に求める学者もいるそうです。

ところで、代表的な古代文明である古代ギリシャはどうでしょうか。実はローマのように、トイレや下水道を発達させることはありませんでした。古代ローマ人は、どうしてそこまでトイレ・下水施設にこだわって、高度なものをつくりあげたのか、興味深いです。

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