トイレの歴史メモ 日本古代〜近世

日本の古代のトイレはどんなものだったのでしょうか。縄文時代には、トイレは自然の川でした。川にそのまま垂れ流したようです。弥生時代にも、縄文時代と同じように、川に直接排便していました。日本語でトイレのことを「かわや」と言いますが、その由来とも言えます。なお一部では弥生時代の遺跡に、下水道のような構造の跡が見つかっています。

古墳時代になると、住居に隣接して獣避けなどを目的とした堀が掘られ、その堀に排泄したと考えられています。飛鳥時代には、トイレは堀った穴に板をわたし、そこに跨って排便したようです。ある程度排泄物がたまると汲み取って捨てていたようです。

奈良時代・平安時代には、都に住む貴族たちは、川の水を引き込んで、排泄物を水で流す形式のトイレを使いました。ただし、庶民はまだまだ、屋外の側溝などをトイレとして使ったと考えられています。

ちなみに平安時代には、現代のしゃがむ形式の便器と同じような「きんかくし(きぬかけ)」がついている便器が使われていました。当然、貴族などの身分の上の人しか使わなかったようです。現在では「きんかくし」をカラダの前側にしてしゃがみますが、当時は「きんかくし」を後にして用を足したそうです。また紙で排便後のお尻をふく習慣も、平安時代の貴族がはじめたそうです。

江戸時代から明治時代ごろになると、汲取式トイレが一般的になり、糞便は便器の下に設けられた便槽に溜められました。また糞便を農作物の肥料として活用するようにもなりました。

明治時代になると、それまでは木製便器が一般的でしたが、陶器の便器が登場しました。このころになると、現在の和式便器の形状と同じような形態となってきます。また明治になると、西洋式便器も輸入され、洋風建築などで取り入れられるようになりました。


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