日本の有料トイレ事情

最近は日本でも有料の公衆トイレが増えているのでしょうか。少し前の記事ですが、以下のような記事を読みました。

途中下車して行きたい!?駅の有料トイレ事情
http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2011/10/post_1256.html

これを見ると、いかにも豪華で、化粧台やドライヤーなども備えた女性用のパウダールームみたいなものが多いようです。

海外では公共施設の普通のトイレでも有料のところが一般的に見られます。日本では少し受け入れられにくいかなと思いますが、女性向けに付加価値をつけた形で運営されているんですね。

大阪には、阪急梅田駅の3階改札前にある化粧雑貨ショップ「クレデュプレ」に有料トイレが備えられているそうです。料金は300円。三面鏡や一面鏡など希望するブースを1時間借りることができるそう。JR大阪駅の南改札近くにも「アンジェルブ」という有料パウダールームがあるそうです。

これは2011年の記事ですが、今探してみると他にもいくつか増えているようです。

大阪だと、

阪急梅田本店4F「うめはんジェンヌ」
グランフロント大阪 パナソニックセンター 大阪 2F「クリュスタ」

があります。結構ニーズがあるようですね。トイレやお化粧だけでなく、女性向けのちょっとしたフリースペースとして機能しているようです。待ち合わせに使ったり、パソコン開いてる人もいるんだとか。

また、コスメなどのテスター・サンプルが無料で使えたりと、利用者にとってもお得で、かつ企業の宣伝の場としても使われていたりもします。

「トイレのピエタ」ってどんな映画?

今年6月に公開された「トイレのピエタ」という映画。気になるタイトルです。一体どんな映画なのでしょうか。

「トイレのピエタ」の監督は松永大司。ドキュメンタリー『ピュ〜ぴる』で高い評価を得た監督です。この「トイレのピエタ」が劇映画デビューです。また、人気バンドRADWIMPSのフロントマンである野田洋次郎が主演として俳優デビューしていることでも話題になりました。

映画のストーリーは、ある日突然、余命3か月を宣告された青年と一見、自由奔放な女子高生との交流を描くものです。

そもそも「トイレのピエタ」とは、漫画家手塚治虫が亡くなる前の日記の最後のページに書いていた漫画(の構想)のことです。その新しい漫画への構想を日記へ書き綴ったのを最後に、その後手塚は昏睡状態に陥り天国へ召されました。

映画の「トイレのピエタ」は、監督の松永大司が手塚の「トイレのピエタ」構想を原案として、オリジナルストーリーとしてつくったものです。


※以下が手塚治が最後に遺した日記

一九八九年一月一五日

今日はすばらしいアイディアを思いついた!トイレのピエタというのはどうだろう。

癌の宣告を受けた患者が、何一つやれないままに死んで行くのはばかげていると、入院室のトイレに天井画を描き出すのだ。

周辺はびっくりしてカンバスを搬入しようと するのだが、件の男は、どうしても神が自分をあそこに描けという啓示を、 便器の上に使命されたといってきかない。

彼はミケランジェロさながらに寝ころびながらフレスコ画を描き始める。 彼の作業はミケランジェロさながらにすごい迫力を産む。 傑作といえるほどの作品になる。 日本や他国のTVからも取材がくる。

彼はなぜこうまでしてピエタにこだわったのか?これがこの作品のテーマになる。
浄化と昇天。これがこの死にかけた人間の世界への挑戦だったのだ!

大阪で「トイレ」の企画展開催中

2014年に日本科学未来館で開かれ話題になった「トイレ」をテーマにした企画展「トイレ? 行っトイレ!ボクらのうんちと地球のみらい」が現在、大阪で開催中です!!

日本科学未来館では90日間の会期中ぬ延べ23万人の来場者を記録。その展覧会が、大阪・梅田のグランフロント大阪北館1階 ナレッジプラザにて開催されています。

単にトイレという空間・設備についてだけでなくうんちのにおいや形などの身近な話題、排泄物と地球環境の問題に至るまで、さまざまな角度から楽しむことができます。

展示の構成や演出は、放送作家の鈴木おさむさんも手がけています。なので、とっても楽しく展示を楽しむことが出来ます。会場ではとってもかわいいうんちのキャラクターが出迎えてくれます。

会期は、8/30まで。夏休み最後の週末は、自由研究がまだ終っていない!!という小中学生にも最適かもしれません。

また、グランフロント大阪内に大手便器メーカーのLIXILのショールームもあります。ここでも、企画展と連動した特別プレゼント企画を実施中だそう。企画展会場で配られる「自由研究シート」を記入しショールームへ持参いただいた方に、夏休みの宿題にも最適な、世界のトイレ事情について学べる絵本がプレゼントされます。

■「トイレ? 行っトイレ!ボクらのうんちと地球のみらい」開催概要
会期     :     2015年8月15日(土)~8月30日(日)
開催時間     :     10:00~19:00(入館は閉館時間の30分前まで)
場所     :     グランフロント大阪 北館1階ナレッジプラザ
入場料     :     一般・大学生 1,100円 4歳~高校生:650円  ※3歳以下無料
公式サイト     :     http://www.ktv.jp/event/toilet/
主催     :     関西テレビ放送、産経新聞社
企画・制作     :     日本科学未来館、フジテレビジョン
特別協賛・協力     :     株式会社LIXIL

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トイレの便器 代表的なメーカ3社

便器メーカーといえば多くの人がまずTOTOを思い浮かべるのでは??トイレに入ったときにTOTOのロゴを見かけることがよくあります。それもそのはず、TOTOは便器のシェア6割を誇る圧倒的な業界No1です。

TOTOは1917年に設立されました。最初は東洋陶器という名前でした。もとは、便器だけではなく、食器なども製造販売する企業でした。そもそも東洋陶器設立の母体となったのは、今でも高級陶磁器で有名なノリタケの研究所でした。

1969年に、食器生産から撤退した際に、東陶機器株式会社に商号変更して「TOTO」のロゴを入れるようになりました。社名をTOTO株式会社としたのは、意外と最近の2007年です。

もうひとつ便器で有名なメーカーといえばINAXです。業界2位のシェアを誇ります。現在では、INAXを始めとする住宅設備関連の企業が合併してLIXILという社名になりました。もともとは1924年に伊奈製陶として設立され、実はTOTO(東洋陶器)の創業者が立ち上げた会社だったのです。

現在、便器メーカーとして大躍進を遂げているのがパナソニックです。上記の2社は、陶器製の便器をつくっていますが、パナソニックは樹脂製の便器をつくっています。樹脂製の便器は、陶器製の便器に比べて水垢などの汚れがつきにくい性質があるなど、その優位性をいかしてシェアを伸ばしています。特に便器の自動洗浄機能をつけたことで大ヒット。いまや2強を脅かすほどの存在になっています。

トイレの歴史メモ 音姫

「音姫」と言えば、トイレ用の擬音装置のことが思い浮かぶでしょう。「ウォシュレット」と同じく、「音姫」はTOTOの登録商標です。TOTOが音姫を発売する1988年よりも前から、同様のトイレ用擬音装置はあったそうです。パイオニアは、トイレ用品などを開発販売していた折原製作所の「エチケットーン」でした。エチケットーンは1979年に発売されました。

日本女性は用を足すとき平均2.7回の水を流すという調査結果もあるとおり、用を足す際の音を恥ずかしく感じるという文化があります。また、そうした事情にあたって水が流される時、特に問題視されたのが、水の無駄遣いでした。この無駄を減らすことで、どれだけの水が節約できて、今まで水道代として支払ってきた費用を削減できるか。この大きな効果に目につけて開発が始まったそうです。

とはいえ、最初はなかなか購入してくれる事は少なかったそう。そんな中、東京のとある衣料品メーカーの工場から大量受注。女性が多く働く工場内のトイレ約300にエチケットーンが付くと、その効果のほどにマスコミ取材も殺到。それからは、売れに売れて大ヒット商品となりました。

その後は、他メーカーも同様の装置の開発に追随し、さらに広く普及することになりました。ただし、世界的に羨望の眼差しで見られ、ハリウッドスターが自宅に導入していることが話題になるウォシュレット(温水洗浄便座)とは違い、音姫などのトイレ用擬音装置には、海外でのニーズは伸びませんでした。なぜなら、用を足す際の音を恥ずかしいと思う感覚は、日本女性のようには、海外の女性にはないものだったからです。


トイレの歴史メモ ウォシュレット

ウォシュレット(一般名:温水洗浄便座)は日本のおもてなし技術の代表として話題になることが多いため日本生まれと誤解されがちですが、もともとはアメリカで開発されたものでした。もとは医療・福祉のために開発されたもの。日本には1964年に東洋陶器(現在のTOTO)がアメリカンビデ社の温水洗浄便座を輸入販売しはじめたのが始まりです。

国産初の温水洗浄便座は、1967年、伊那製陶によるものでした。その後は、TOTOをはじめ国内他社からも発売されました。とはいえ、まだまだ国内全体で言えば洋式便器ですらなく、和式便器が主流だった時代です。

その後、少しづつ洋式便器の普及も高まり、温水洗浄便座も知られるようになってきました。温水洗浄便座の代名詞であるウォシュレットは、TOTOの商品名で、1980年に発売開始となりました。初代ウォシュレット「ウォシュレットG」は新しいトイレ習慣を創造したとして、一般社団法人 日本機械学会により「機械遺産」に認定されています。

ウォシュレットは、1982年より始まった衝撃的なテレビCMでさらに知名度を高めました。トイレの宣伝というだけで、広告掲載を断られていたという経緯もあるほど、シモの話題であるトイレは宣伝が難しい商品でした。

そんな中、天才コピーライター仲畑貴志による「お尻だって洗ってほしい」のキャッチコピーと、当時はまだ売り出し中の歌手・役者でのちにカルト的な人気を得ることになる戸川純の出演による衝撃的なCMは一気に世の中の話題をさらいました。あえて、食事の時間に流したというこのCMは最初こそ、クレーム電話の嵐だったそうですが、しばらくするとクレームもやみ、誰もが知っているCMとなりました。

その後は、普及率も右肩のぼりで増え続け、温水洗浄便座は今や日本全国の6割の家庭にまで普及しているそうです。ウォシュレットがないと用が足せない…というような人まで生まれているぐらい、無くてはならないものになりました。

トイレの歴史メモ 日本明治〜平成

明治になって、洋式便器が輸入されるようになり、その後明治30年代になると日本陶器合名会社が設立され、国内でも陶製の便器が製造されるようになりました。明治40年になると、現在のTOTOの前身である、東洋陶器株式会社も設立されました。本格的に、日本の洋式・水洗便器の歴史が動きだしてゆきました。

大正時代になると、陶製の便器を製造する会社も増え、業界が形成されてゆきました。さらに、便器だけでなく、浄化槽や下水道設備の整備も進められ、一気に日本のトイレ事情は近代化へスピードアップを果たしました。

昭和に入るころには、現在のLIXILの前身である伊奈製陶、現在のジャニス工業の前身である西浦製陶などが設立されています。その後、戦後復興における特需などをへて、規格なども統一化されてゆきました。まだまだ戦前、戦後しばらくは和式便所が主流でしたが、昭和35年、1960年になるころには洋式便器が普及を始めます。

また日本のトイレの代名詞でもある、温水洗浄便座が発売されはじめたのも1960年代です。初期の頃は、スイス製や米国製のものを輸入販売していました。温水洗浄便座の国産化が始まるのは、1967年からです。TOTOの「おしりだって洗ってほしい」というCMが話題になって、温水洗浄便座がさらに普及しはじめるのは1980年代に入ってからです。

1970年代に入ると、和式よりも洋式便器ほうが出荷量が上回るようになりました。日本が高度成長期、バブル期と絶頂を謳歌するなかで便器も多大な進化を遂げていきました。脱臭機能、節水性能、自動ふた開閉、などの多機能化が進みました。

平成に入ると、さらにタンクレス、抗菌仕様など進化を進めました。和式便器の出荷数は、一桁パーセント代に。温水洗浄便座は50%を超える普及率にまで浸透しました。


トイレの歴史メモ 日本古代〜近世

日本の古代のトイレはどんなものだったのでしょうか。縄文時代には、トイレは自然の川でした。川にそのまま垂れ流したようです。弥生時代にも、縄文時代と同じように、川に直接排便していました。日本語でトイレのことを「かわや」と言いますが、その由来とも言えます。なお一部では弥生時代の遺跡に、下水道のような構造の跡が見つかっています。

古墳時代になると、住居に隣接して獣避けなどを目的とした堀が掘られ、その堀に排泄したと考えられています。飛鳥時代には、トイレは堀った穴に板をわたし、そこに跨って排便したようです。ある程度排泄物がたまると汲み取って捨てていたようです。

奈良時代・平安時代には、都に住む貴族たちは、川の水を引き込んで、排泄物を水で流す形式のトイレを使いました。ただし、庶民はまだまだ、屋外の側溝などをトイレとして使ったと考えられています。

ちなみに平安時代には、現代のしゃがむ形式の便器と同じような「きんかくし(きぬかけ)」がついている便器が使われていました。当然、貴族などの身分の上の人しか使わなかったようです。現在では「きんかくし」をカラダの前側にしてしゃがみますが、当時は「きんかくし」を後にして用を足したそうです。また紙で排便後のお尻をふく習慣も、平安時代の貴族がはじめたそうです。

江戸時代から明治時代ごろになると、汲取式トイレが一般的になり、糞便は便器の下に設けられた便槽に溜められました。また糞便を農作物の肥料として活用するようにもなりました。

明治時代になると、それまでは木製便器が一般的でしたが、陶器の便器が登場しました。このころになると、現在の和式便器の形状と同じような形態となってきます。また明治になると、西洋式便器も輸入され、洋風建築などで取り入れられるようになりました。


トイレの歴史メモ 古代ヨーロッパ

古代文明の遺跡から、下水に繋がったトイレ跡が発見されています。中世ヨーロッパでは、おまるにためた排泄物を窓から往来に投げ捨てていたということなので、それよりよほど前の時代のほうがずっと先進的なトイレ事情でした。

シュメール文明のエシュヌンナ遺跡から紀元前2200年頃の宮殿の遺跡からは、水洗便所が発掘されています。レンガでできており、地下の下水管に通じていました。こうしたトイレはなんと、一般の家庭にも同様のものがあったそうです。

こうしたトイレ文化は、シュメール文明だけでなく、ギリシャのクレタ文明やインダス文明などの都市でもあったそうです。モヘンジョ・ダロではシャワー・ルームと腰かけトイレが完備していたそう。

古代のローマでは、下水道設備は発達していました。ローマ全市を下水道が縦横にのびており、雨水と汚水が市街地の外へ流されていたそうです。下水道には公衆浴場や公衆便所、一般課程の足洗場、洗面所、便所へも接続されていました。

特に紀元前7世紀ごろ、タルクイニウス王の時に完成した非常に大規模な下水道網(クロアカ・マクシマと呼ばれています)は、現在でも使い続けられています。

とはいえ、人口が増えた古代ローマ時代にあって、下水施設はやはり需要に供給が追いつかない状況になってしまったようです。下水機能の不足は、その後、マラリアやペストなどの疫病を広める原因にもなったと考えられます。ローマ帝国が滅亡した理由を、人口増加に下水設備増強が追いつかなかったことによる疫病も蔓延に求める学者もいるそうです。

ところで、代表的な古代文明である古代ギリシャはどうでしょうか。実はローマのように、トイレや下水道を発達させることはありませんでした。古代ローマ人は、どうしてそこまでトイレ・下水施設にこだわって、高度なものをつくりあげたのか、興味深いです。

トイレの歴史メモ ヨーロッパ中世

ヨーロッパ中世には、大きなお城や修道院にはトイレがあったそう。一般市民は、おまるを使っていたようです。おまるに溜められた汚物は、街路に捨てられることも多く、衛生的には最悪だったようです。 なんと窓から投げ捨てるのが当たり前だったとか。

実はハイヒールは、汚物の散らかる道でドレスを汚さないようにと作られたのがその発祥だそう。ちなみに、マントも上から降ってくる汚物をよけるために生まれたものという説もあります。

お城にあったトイレも、下水がきちんと整備されているわけではなく、床に穴があるだけで、その穴にまたがって排泄するとそのまま下に落ちるという仕組み。排泄物が溜まってお城が汚れてくると、王様は引越ししたそう。

ヴェルサイユ宮殿では、ルイ14世の時代に300個ほどの便器がつくられたそう。でも、宮殿には何千人もの人がいました。トイレは全然足らなかったそうです。なので、廊下や部屋の隅、庭の茂みなどで用を足す人達も続出。ヴェルサイユ宮殿のなかは糞尿であふれ、ものすごい不衛生な状態だったそう。

また、ヨーロッパでハーブや香水などの香りの文化が発達した理由は、上記のような糞便の匂いが充満しているという状況が背景にあったとも言われています。

12~13世紀のパリでは、道路の真ん中に水が流れている溝があって、そこにおまるにたまった排泄物を流したそう。汚物はそのままセーヌ川などの河川へと運ばれていきます。

ちなみに古代ローマとかの時代には、水洗トイレがあったんですよ。なのに、古代から中世に入って、トイレ事情は後退しているわけです。

その後、水洗便所か登場するのは16世紀末のイギリス。普及するのは18世紀末ごろだそう。